世界初の抗生物質は実験の失敗から生まれた
この発見の裏には3つの偶然が重なっている。これだけ重なるともはや奇跡と呼ぶべきかもしれない。
ひとつめは上記したように、フレミングが少し怠惰な性格であったこと。
几帳面な学者であれば、実験を終えた後は培養した菌の処理をし、実験道具を片付けてから研究室を後にするだろう。しかしフレミングがこのようにしっかり片付けをしてしまっていたら、ブドウ球菌のシャーレに青カビが飛び込んで繁殖することもなかった。
ふたつめは、たまたまペニシリンの合成能力が高い珍しいタイプの青カビが、フレミングが実験をしていたシャーレに飛び込んだこと。
“とある理由”からフレミングは抗菌物質の研究価値を誰よりも理解していた。だからこそ普通ならコンタミネーション=実験の失敗として廃棄してしまうようなものに違和感を覚えることができたのではないかと言われている。
みっつめは“とある理由” について。
フレミングがなぜコンタミネーションを起こしたシャーレを見ただけで抗菌・殺菌作用に思い当たったのか。実はフレミングはペニシリンの発見だけでなく、それ以前にも偉大な功績を残しており、その経験が彼にひらめきを与えたのである。しかもその発見も、「偶然の産物」としてのものであった。
ペニシリンの発見より6年前の1922年、フレミングはある菌の培養実験の最中にくしゃみをしてしまい、その時に飛散した唾液・鼻水などの粘液が実験中のシャーレに入り込んだ。数日後そのシャーレを見てみると、粘液が飛散した部分だけ細菌の繁殖がなく、この気づきからフレミングは人間の粘液に抗菌・殺菌効果があるのではないかと考えた。
これがリゾチームという、現在でも医薬品に用いられる酵素の発見につながった。この発見があったことにより、ペニシリンの発見の時も、青カビが他の菌を寄せ付けない能力があると直感的に理解できたのではないかと言われている。
このような発見はそうあることではない。2度も偉大な「偶然の発見」を残したフレミングは、ただ運が良かったというわけではなく、観察眼が優れていたと評するほうが適切だろう。
フレミングはもともと医学博士だった。第一次世界大戦で軍医として凄惨な現場を目にした彼は、感染症の治療薬が必要だと考え細菌学の道を志した。その結果、「20世紀最大の発見のひとつ」とも称されるペニシリンを発見し、多くの人々の命を救った。第二次世界大戦でもペニシリンは重宝され、フレミングは共同研究者のハワード・フローリー、エルンスト・ボリス・チェーンらと共に1945年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
冒頭では「棚ぼた」と言ったが、もしかしたらこれは単なる偶然ではなく、フレミングの研究者としての経験と確かな直感、そしてなにより感染症治療への強い意志があったからこその結果なのかもしれない。パスツールが “le hasard ne favorise que les esprits préparés” と残したように、まさしく「幸運は用意された心のみに宿る」のだ。