チーズの味な話 第1回|ナポレオンとヴァランセ


チーズには「味」がある。もちろん、味覚の話ではない。どんなチーズにも、おいしさを裏付ける味わい深い話がある。なかでもフランスのチーズ「ヴァランセ」には、とびきり「味」のある逸話が詰まっている。
フランスの中央部、ロワール川の支流に位置し、豊かな田園風景と荘厳な古城を有するヴァランセ村。
ヤギ乳を使ったシェーブルチーズの代表格「ヴァランセ」は、この小さな村で生まれた。形はずんぐりとした跳び箱型で、青みのある灰色は木灰と白かびによるもの。木灰をまぶすのは、シェーブルチーズ特有の技法で、ヤギ乳の獣臭さや雑菌の繁殖を抑える効果があるのだそう。
ヤギ乳を使ったチーズは柔らかく、成型が難しい。型に入れてつくるため、シェーブルチーズの多くはユニークな形をしている。そのなかでも「ヴァランセ」には、形にまつわるこんな逸話が残っている。
時はフランス革命が起きて間もない、1799年。エジプトへ遠征したナポレオンは、激戦の末イギリスに大敗。軍を残し、祖国に戻ることになる。失意に陥るナポレオンは、ある日ピラミッド型のシェーブルチーズを見て大激怒。チーズの頭を切り落とさせたことが「ヴァランセ」のはじまりといわれている。
また一説には、ヴァランセ城の城主で外務大臣だったタレーランが、ナポレオンに気遣い、ピラミッド型のチーズの頭を切り落としたという話もある。ナポレオンは失脚後、敗戦国フランスの賠償責任を「美食外交」によってうやむやにした。そんなことが許されるほどにフランスの美食の影響力は大きかったのだ。
「ヴァランセ」も例に漏れず、味は一級品。鼻を近づけると、熟成感のあるヤギ乳と白かびの香り。舌にのせれば、とろりとなめらかな食感とともに、たっぷりした酸味と塩味が口に広がる。その品質の高さはお墨付きで、EU共通の食品品質認証制度「AOP」を取得する数少ないフランスチーズでもある。今や世界中の美食家に愛される「ヴァランセ」は、フランスの歴史の酸いも甘いも噛み分けた、「味」なチーズなのだ。