微生物はアートの敵か味方か。美術にまつわる微生物たち
「あぁ……! 大事なポスターにカビが!」
アートには、こんな話がつきものである。絵画、写真、彫刻……芸術作品の保存には常に「微生物の侵略」がつきまとう。どれだけのプロフェッショナルが集まろうとも、微生物の侵略を完全に防ぐことはほとんど不可能に近しい。その最たる例が教科書でもおなじみの奈良県の高松塚古墳の壁画だ。
世間を揺るがした、微生物と文化財の戦い
1972年3月、1000年以上の時を経て高松塚古墳の壁画は再び陽の光を浴びた。極彩色で描かれた四神や人物群像は、発表されるやいなやトップニュースとなり、発見後わずか2年で国宝に指定される超歴史的文化財として保存・管理が始まった。
しかし、その発見に飛びついたのは人間だけではない。発見から30年ほど経った2004年、カビの発生によって壁画の退色・劣化が進んでいることが報じられた。それまで地中に眠っていた石室が開いたことで、瞬く間にカビの侵食が始まったのだ。
壁画を蝕んでいたのは、フザリウム属やトリコデルマ属、ペニシリウム属をはじめとしたカビ、バイオフィルムを形成する酵母たちだった。一度侵食した微生物たちを全て除去するのは極めて困難。幾度も修復を試みたものの解決には至らず、2007年には石室の解体が決まり、壁画は修復施設へ運ばれた。カビの除去が完了したのは、それから13年経った2020年。緻密な修復作業のもと、数十年にも渡る壁画と微生物の戦いにようやく一区切りがついた。
微生物が物語る美術品の歴史
微生物が芸術作品に被害をもたらす例がある一方で、微生物から作品の歴史を紐解くことができるケースもある。
2020年、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた7枚のスケッチから微生物叢が見つかった。イタリアとオーストリアの研究チームが最新のDNAシークエンサーを用いて発見した数々の微生物には、作品が過去にどのような環境で保存されてきたか、その歴史を紐解く鍵がある。
ひとつは、ハエやミバエの消化管に生息する特有の細菌がいたこと。つまり、過去にハエが飛び交う環境にスケッチが保管されていたことがわかった。もちろん、現在では厳重な保存環境にあるため、ハエが排泄することは到底考えられない。今のような設備が整う以前の美術の保管環境を伺う一例となった。
もうひとつは、微生物が地理別に群れを成していること。調査対象となったのは、トリノ王立図書館所蔵の5点と、ローマのコルシーニ宮図書館所蔵の2点。トリノのスケッチに共通する微生物叢、ローマのスケッチに共通する微生物叢が見つかった。それぞれの地域性と、作品がどこで保管され続けてきたかが、微生物の群れから読み取ることができる。
さらに、2022年にはダ・ヴィンチの自画像から新種の菌が見つかった。ブラストボトリス属のこの酵母菌は、発見場所に敬意を表してBlastobotrys davinciiと名付けられた。
美術品を「修復する」微生物
修復と破壊は表裏一体。微生物をわざと美術品に住まわせることで、修復を行う事例もある。
2019年からスタートした、イタリア・フィレンツェにあるメディチ家礼拝堂の彫刻修復プロジェクト。彫刻の作者は「ダビデ像」を作り上げたミケランジェロ。彼が残した作品のなかでも最高傑作と呼ばれているのが、メディチ家礼拝堂の新聖具室だ。
16世紀に礼拝堂が建って以来、石棺や彫刻は訪れる人々の手形や、幾度のレプリカ制作によって変色が酷くなっていた。そこで修復チームは汚れの成分を検出。彫刻を傷つけずに根深い汚れを落とす方法として白羽の矢がたったのが微生物だった。
チームに入った生物学者は、1000株以上の微生物のなかから、汚れの成分を好んで栄養とするものをピックアップ。多種多様な代謝特性を持つグラム陰性細菌のシュードモナス・スタッツェリや、有機化合物を食べるロドコッカス属の菌など、汚れに応じてさまざまな微生物が彫刻の洗浄に携わった。数年かけたプロジェクトは見事に成功。微生物はあらゆる汚れを食べ尽くし、彫刻は当時の輝きを取り戻した。
文化財を脅かす脅威にもなれば、芸術にまつわるさまざまな歴史を解き明かす一助にも、修復を行うヒーローにもなる。微生物は常に中立的。敵となるか、味方につけるかは、我々人間にかかっている。
https://wired.jp/2020/12/04/meet-the-microbes-living-on-da-vincis-iconic-sketches/
https://www.nytimes.com/2021/05/30/arts/bacteria-cleaning-michelangelo-medici-restoration.html