世界初の抗生物質は実験の失敗から生まれた
「棚からぼたもち」といえば思いがけぬ幸運が舞い込むことの例えだが、ここでは人類史に残る奇跡的な「棚ぼた」について紹介したい。後に多くの人の命を救うことになる偉大な発見は、偶然に偶然が重なった幸運から生まれた。
このmics magazineを見ている人ならすでに知っているだろうが、私たちの周りには目に見えない菌やウイルスが満ち溢れていて、その中には病気の原因となるようなものも残念ながら含まれている。
このような菌・ウイルスの研究は非常に困難だ。現代では研究用の精密機器などの設備が充実し、研究手法もある程度確立されているが、それもせいぜい1900年代後半から。「近代細菌学の開祖」と呼ばれるルイ・パスツールやロベルト・コッホの活躍は1850年頃なので、菌の生態を詳しく知ることができるようになったのもつい最近のこと。そんな細菌学の開拓者として外せないのが今回の主役、アレクサンダー・フレミングというイギリスの学者だ。
フレミングは1900年代前半に活躍した細菌学者で、その功績はスコットランドのクライズデール銀行が発行している5ポンド紙幣に肖像画が用いられているほど。ちなみに日本では「フレミング」というと左手の法則が有名だが、こちらは同じくイギリスの物理学者、ジョン・フレミングが発見したものなので別人。(いずれも偉大な発見をしたことには変わりないが)
アレクサンダー・フレミングが発見したのは「ペニシリン」という抗生物質。ペニシリンはどこにでもいる青カビ(Penicillium chrysogenum)から抽出される。この青カビはゴルゴンゾーラやロックフォールなどのチーズをつくるときにも用いられ、日本では食用にはあまりしないが、パンやみかんがカビたときの緑っぽいアレはまさしく彼らのコロニーだ。
こう聞くと簡単に見つかりそうなものだが、もしペニシリンが発見されなければ、私たちはいまだに病原菌・感染症への有効な対処法をもっていなかったかもしれない。
そしてなにより興味深いのは、この抗生物質が「ペニシリンを見つける実験」ではなく、全く関係のない実験、しかもその実験の失敗から発見されたことである。
1928年、黄色ブドウ球菌の培養研究をしていたフレミングは、実験を終えた後の片付けもほどほどに研究室を長期間空けていた。しばらくして片付けのために研究室に戻ったフレミングは、ブドウ球菌を培養していたシャーレの一部に別の菌がコロニーをつくっていることに気が付く。
このような状態はコンタミネーション(実験汚染)と呼ばれ、目的としていた菌が純粋に培養できていない、つまり実験の失敗を意味していた。しかしフレミングはそのシャーレを見て、青カビのコロニーの周りにブドウ球菌が繁殖していないことに着目、本来の目的であったブドウ球菌の培養ではなく青カビの培養を始め、後にこの青カビから世界初の抗生物質であるペニシリンが発見・生成されたのである。